二十歳の成人式、久しぶりに会った同級生たちと撮った写真を見返して、僕は言葉を失いました。照明の下で笑う自分の頭頂部が、周りの友人たちに比べて明らかに薄く、地肌が透けて見えていたからです。学生時代は髪の量が多い方だと言われていたのに、まさか自分が「若ハゲ」と呼ばれる部類に入るとは夢にも思っていませんでした。当時はまだ大学生で、これから社会に出て恋愛も仕事も楽しもうという時期です。それなのに、鏡を見るたびに自分の未来が閉ざされていくような暗い気持ちに支配されました。風が吹く日は外出するのが怖く、帽子がなければコンビニにさえ行けない日々。電車に乗れば座っている人の視線が自分の頭に向けられているような被害妄想に囚われ、つり革に捕まることさえ躊躇うようになりました。若くして髪を失うということは、単に外見が変わるだけでなく、自尊心そのものを根底から揺るがす出来事だったのです。最初は現実を認めたくなくて、インターネットで検索した「生活習慣の乱れ」や「シャンプーの選び方」といった情報にすがりつきました。高価な育毛シャンプーを買い漁り、海藻を食べれば髪が生えると信じてワカメばかり食べるような生活を続けました。しかし、どれだけ努力しても排水溝に溜まる抜け毛の量は減らず、むしろ進行していく恐怖に押しつぶされそうでした。友人からの遊びの誘いも断りがちになり、性格まで暗くなってしまった僕を見かねて、ある日、父親が声をかけてくれました。父もまた薄毛でしたが、彼はそれを隠すことなく堂々としていました。「悩んでいる時間が一番もったいない。今はいい薬もあるんだから、専門家に相談してみろ」という父の言葉は、恥ずかしさで凝り固まっていた僕の心を少しだけ溶かしてくれました。遺伝だから仕方がないと諦めていた父の世代とは違い、僕たちの世代には医学的な選択肢があることに気づかされたのです。勇気を出してAGA治療専門のクリニックの門を叩いたのは、二十三歳の春でした。待合室には自分と同じような若い男性も多く、自分だけが特別不幸なわけではないのだと少し安心したのを覚えています。医師の診断は典型的かつ進行性の男性型脱毛症でした。ショックではありましたが、原因がはっきりしたことで、やるべきことが明確になりました。処方された薬を毎日飲み、頭皮に薬剤を塗布する日々が始まりました。治療を始めてすぐに効果が出るわけではありません。最初の数ヶ月は「初期脱毛」と呼ばれる一時的な抜け毛の増加があり、心が折れそうになりましたが、医師の「必ず生えてくるから信じて続けて」という言葉を支えに耐え抜きました。半年が過ぎた頃、鏡の中の自分に変化が現れました。細く弱々しかった産毛が太く黒い髪へと変わり、透けていた地肌が埋まっていったのです。髪が戻ってきたことで、失っていた自信も徐々に回復していきました。しかし、僕が得たものは髪の毛だけではありませんでした。